なるほどですね。

作家とプロデューサーをしているみずけんのコラム

ヤフオクが「稼ぐセンス」を奪っているのではないか

   

どうもみずけんです。

 

お久しぶりです。

4月になり、新年度が始まりました。

 

僕はと言いますと、3月31日から4月1日の間に、一切の変化はありませんでした。

 

何かを卒業したわけでも、何かに入学したわけでも、さらには新人さんが入ってきたわけでもありません。

 

人生という名の一本道をただひたすらに歩き続け、「3月31日」の上に「4月1日」というブロックが積み重なった。

 

ただ、それだけでした。

 

それはそれでそんなもんか。なんて考えていたのですが、

 

ちょうどその日、高田馬場のカフェに行きまして、簡単にmtgした後、ひたすら仕事をしていたのですが、

 

大学1年生らしき人がちらほらいたんですよね。

 

着なれないスーツを着て、ちょっとメイクが濃すぎる女の子とか、昨日美容院で茶髪にしてきましたみたいな男の子とか。

ご両親と一緒にこれからの大学生活について、色々と話しているわけです。

 

 

なんか。

 

 

 

それ見たら無性に切なくなりましてね。

 

 

もどかして、寂しくて、ふと、脳裏に浮かんだ3文字が

 

 

 

あの頃」

 

 

でした。我ながら意味不明です。

 

 

 

同時に思いました。

 

 

攻めたい

 

と。

 

これは年に2〜3回くらい(主に4月ごろと11月ごろ)来る発作みたいなもので、無駄に新しいことをしたくなるんです。

 

で、その場であることを決めました。

 

 

引っ越そう、と。

 

大家さんに電話して、来月家を出ていくことを告げました。

 

なんだおまえの引越しの報告かと思われるかもしれませんが。

 

今回の引っ越し。我ながらかなり攻めてるなと感じています。

 

 

最も大きな点が

 

 

次の家を全く探していないことです。

 

 

というのも、

 

最近、よく思うことがありまして、

 

 

行動は考えた瞬間にブレーキがかかるんですね。

 

今回の家探しの例をとってみると、

 

次の家どうしよう?

お金、足りるかな?

今の家の方が来月の予定的に都合良いんじゃないか?

 

このような思考をした瞬間、行動は鈍化していきます。

 

ということで、

 

敢えて、思考を止めることの重要性を日々、実感しています。

 

 

そういう意味で、

 

今回の件で僕はグレードアップしたと思うのです。

 

「次の家を決めてないのに引っ越しちゃう水野」は、もはや「あなた達の知っている水野」ではなく、「ニュー水野」または「新水野」または「真水野」、そしてすなわち「真野」なんですね。

 

前置きが長くなりましたが、真野はそういうことで家の荷物の整理をしていました。

 

で、今日です。

 

いらない漫画とか、ゲームとか、ヤフオクにでも出そうかとまとめていまして、ひと段落ついたので、

お昼に近くのうどん屋さんに行った時のことです。

 

近くに小学生くらいの子供を連れたお母さんがいたのですが、

子供がお母さんに「Wii、欲しい〜」って言っているんですよ。

 

 

 

 

Wii、あるんですよ

 

 

真野の家、Wii、あるんですよ!

 

 

これ、あげればいいやん。

 

その瞬間、僕の頭の中で何十通りものシミュレーションが行われ、

 

最も怪しまれず、この家族にWiiを譲るにはどうすれば良いのか脳内会議がなされました。

 

 

結果、

近々引越すつもりであること

徒歩3分のところに住んでいるため、今から持ってくることもできること

 

を正直に打ち明けるのが最もベター、いやヴェターであることを確信し、さていざ話しかけようとした時です。

 

イメージ的には季節外れのサンタ的なテンションで、ちょっと良い声で話しかけよう、と二、三度喉を鳴らし、立ち上がったまさにその時です。

 

「来週の誕生日まで我慢しなさい。」

 

母親の声が聞こえました。

 

 

うん。やめておこう。これはやめておこう。

 

立ち上がったまま、僕は驚くほど自然にトイレへ向かいました。

 

危なかった。本当にあわてんぼうのサンタクロースになるところだった。

 

 

ということで、結局、この親子に話しかけることはなく終わったのですが、

 

 

ここでようやくタイトルの考えが浮かんできたんです。

 

というのも、

 

「お金」とは「相手が喜んだことに支払うもの」であるため、

 

お金持ちになるということは、それだけ多くの人を喜ばせた人ということになります。

 

つまり自然と「人を喜ばせるということ」を喜べる人間であれば、息をするように他人を喜ばせる人間であれば、お金持ちになることは実にたやすい。

 

なんて言われたりもしています。

 

 

そして、

 

人を喜ばせることが自分の喜びとして感じるための最も手軽な方法が、

 

プレゼント

 

です。

 

 

そう。このプレゼントという発想を、オークションは奪ってしまっているのではないか。

 

「いらないものを誰かにあげる」という発想ではなく「お金にする」という発想が当たり前になってしまう。

 

それは僕らの「誰かが喜ぶことを喜ぶセンス」を奪っているのではないか。

 

 

そんなことを考えた昼下がりでした。

 

 

 

ということで、真野。

 

 

いらないものを皆さんに配ろうと思います。

 

 

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